マダム、なんだか辛いなり。

ボンジュール。

北ロンドンは今日も曇り。

最高気温が19℃と過ごしやすい涼しい日と

なっておりやす。

さて、今日はマダムがきのう1日、なんだか

ズドーンと心が重くなったことについて

書こうと思うんだ。

俳優の三浦春馬さんが亡くなっちゃったな。

マダムは彼の出演作品は見たことがない。

でも、ワイドショーのインタビューなんかの

丁寧な応対を見ていて、今どき珍しく

謙虚で爽やかで、ハンサムな子がいるもんだ

と、すごく好感を持ってたんだ。

努力家で、語学の勉強にも励んでいたしな。

短期語学留学を経験し、英語もなかなかに話せる。

中国での舞台あいさつでは、中国語も披露した。

そして、歌も踊りもうまい。

以前、ダンサーの女性との交際が報道された時に

彼女の才能に彼が惚れ込んだというような解説があって

やっぱり感性が鋭い人なんだという印象を

強く持ったんだ。

数年前にはドラァグクイーンの役のミュージカルにも

挑戦していて、マダムの感想としてはなんていったらいいかな

アイドルでも十分に通用する抜群のルックスの持ち主なのに

浮わついたところがなくて、

今ある自分に甘んじることなく

ひたむきに努力している子もいるんだな、

日本もまだ捨てたもんじゃないな

って思ったんだ。

子役出身で礼節もわきまえていて、

おまけに努力も惜しまないなら

鬼に金棒、

これからどんどん世界で活躍する俳優に

なっていくんだろうなって思ってたんだ。



マダムが以前にテレビで見たのはな、

ジョッキーになりたい女の子が

彼の大ファンでJRA競馬学校騎手課程に合格したら、

彼に会いたいという願いを叶えてあげるというものだったな。

マダムの記憶違いだったら困ると思って調べたら、

2009年の年始の番組で放送されたことがわかったんだ。

その頃、彼はまだ19歳か20歳。

16歳のファンの女の子にとても優しく接していて、

素晴らしい子だな、と感激したのを覚えているわ。

ただ先ほど調べてまた、ショックだったのは

俳優・三浦春馬に会えて喜んでいた女の子が

4年後の20歳に脳腫瘍で亡くなっていたこと。

テレビでちょっと見ただけの女の子が

その後にそんな運命をたどっていたと思うと

なんだか切なくなったんだ。



三浦春馬さんに関しては

とにかく残念という言葉しか

見つからない。

天は二物も三物も与えちゃってんじゃん

と思われるほどに、はたから見たら

順風満帆そのものにうつっていた彼にも

抱えきれないほどの苦悩があったというわけだ。

そう考えると、なんだかやりきれなくなったんだ。

原因は何?

なんて推測したところで、これ、と特定なんて

できるはずもない。

人の心なんて、そんなに単純なもんじゃない。

色んな色んな要素が、複雑に絡まり合ってるはずだよ。

そして、彼がとりわけメンタルが弱かったわけでもない。

前にも書いたけどな、メンタルなんて

誰だって、良い時も悪い時もあるんじゃい。

おそらく彼の場合は、

コップの水がいっぱいいっぱいになって

あふれてしまって処理しきれなくなったんだろうと

思う。

コップの水があふれてしまう前に

どこかで水をかき出すことが出来なかったのか、

そうしたことが残念でならないけどな、

自分がそうした危機的状況にあることを

客観的に理解することは

当事者にとっては難しいことなんだろうな。



マダムはな

編入した大学の

精神科看護の講義の際に、教授が

『自殺というのは精神的に

視野狭窄にある状態の時に起こる』

と言っていたのを、鮮明に覚えているんだ。

他の講義の内容はほとんど覚えて

いないんだけどな(笑)、

マダムはこの言葉だけは妙に納得して

今でも大事に自分の心の中にしまってあるんだ。

この言葉が心の中にある、というだけで

マダム自身も何回も救われた。

なんでこんなことを書くのかというと、

もし、死にたい気持ちになった時に

このブログを読んでくれている数少ない人のうちの

1人でも多くが、この言葉を思い出して

考え直して欲しいと思っているからなんだ。



マダムだってな、40数年の人生の中で

死にたいと思ったことは、もちろんある。

家出していた浪人時代は、自分は生きてる価値さえ

ない、そこらへんのゴミよりも無意味な存在だと

思って、消えてなくなりたいとも

常に思ってたんだ。

母が亡くなった時にも、もう全てが

どうでもよくなったし、

不思議な長男に打ちのめされる思いをするたびに

こんなに大変な子育てがマダムの試練なら

全部放り出して死んじまった方が楽かもしれん、

なんて考えてしまうこともある。

大学で教授の言葉を耳にしてからは

マダムは死にたくなると必ず、

精神的な視野狭窄

という言葉を頭の中で何回も反芻するように

しているんだ。

おそらく、大切な人が悲しむとか

残された人の気持ちを考えて、というような道理は

精神的な視野狭窄の状態にある人には、

ほとんど無意味だろう。

周りがどう思おうが、周りになんと思われようが、

そんなことはもう、どうでもいいくらいに

頭の片隅にすら思い浮かぶこともなく

追い詰められているはずだからだ。

マダムの父も、母が亡くなってしばらくは

もう生きててもなんの意味もないから

早く○○のもとへ逝きたいよ

なんてことを言ってたんだ。

さらに怖かったのは

母亡きあと、じーちゃんが週末に

マダムの大学の寮まで迎えに来て、

近所でデイナーデートをしていたことは以前に書いたけどな

マダムの実家と、大学の寮までの道のりで

交通事故が多発する場所があったんだ。

確か、壁に沿って急カーブかなんかする所で、

みんなが相当なスピードを出しているんだ。

ちょっとハンドルさばきを間違えると、

壁に激突して大事故となるような場所なんだ。

母亡きあとのじーちゃんが、マダムとの別れ際に

あーあ、またお前ともバイバイして家に着いたら1人か、

いっそ、○○の交差点のあの壁にブレーキもかけないで

突進して、ひと思いに逝けたらラクなのになぁ。。。

って言ったことがあったんだけど、

その言葉がいつか、現実のものとなるんじゃないかと

思って、いつもいつも、怖かったんだ。

じーちゃんとディナーデートをした後は、

無事に家に着いたという報告があるまで

とにかく不安でいっぱいだった。



マダムはじーちゃんに

おかしなことはやめてよ!

マダムも兄もいるでしょ

と、無意味な説得をするしかなかった。

じーちゃんも

そうだよな、バカなことをすると

お前らに迷惑かけるもんな

と言ってたから、まだ、マダムと兄のことを

考える余裕があるだけマシだ、とちょっと

ホッとしたこともよく覚えてる。

でも、人間の感情なんて、なにをきっかけに

変わるか、なんてわからない。

そう、魔が差すことだってあるわけだ。

いつもの危険な交差点に差しかかった時に

いつもは理性が働いて、ちゃんとカーブに沿って

ハンドルを切る。

でも、ある時フッと

このまま猛スピードで直進してみよう、と

思うことだってあるかもしれない。

マダムはだな、自分自身だって

いつ、こういう心理状態になるか

わからない。

車を運転してたって、

いつもは右に曲がる道を

なんとはなしに左へ曲がってみることも

あるわけだ。

みんな、誰にでもあり得ることだと思ってるんだ。



マダムは死にたい、と思う時には

とことん、自分の死にたい気持ちと

向き合うことにしているんだ。

死にたい=悪

と嫌悪して遠ざけてしまうと、その感情とも

向き合えなくなってしまう。

そうではなくて、

自分の死にたいという気持ちも

認めてあげるんだ。

『死にたいくらいに落ち込んでいる、

うんうん、そうだな、マダムは今、

ひどく落ち込んでるな』

そう自覚したら、あとはもう

とことん寝るんだ。

ひどい妻で、ひどい母だけどな、

「マダムは今、どえらく落ち込んでいるので

申し訳ないけど、しばらく何もいたしませぬ」

と、宣言をするんだす。

そうして、数日、廃人かと思うくらいの

自堕落な生活を送る。

そして、今の自分の心が

精神的な視野狭窄の状態にあるんだ、

ということを何回も反芻する。

『大丈夫、一生、この辛さが

続くわけじゃない。

この辛さは一過性のもの、

必ずや時が解決してくれる』

そう、寝込みながら働かない頭の中で

繰り返し繰り返し、呪文のように

唱えるんだ。

そうすると、少しずつ少しずつ、

今より悪いことなんてそうそうないから

時が解決してくるのを待ってみようか、

と思えてくるようになるんだ。



三浦春馬さんの死が

彼の事をそれほどよく知らない

マダムにとってもちょっとショックでな、

本当に超個人的な乗り切り方まで

書いてもうたわい。

あとは、カウンセリングを受けることもあるな。

この日本で残念な所は

カウンセリングを受けることに対しての

偏見が根強いというところにあるな。

カウンセリングはだな、

コップの水があふれちゃってからではなくて

コップの水があふれないように

受けるものなんだ。

そこをみんな、はき違えてるから

カウンセリングそのものに

誤解と偏見があるんだと思うんだ。

人様に自分の個人的なことを話すなんて、

という意見も確かにあるだろう。

でも、おそらく自分のことを何も知らない

第三者だから、なんでも話せるんだ。

そして、カウンセラーはプロだ。

もちろん胡散臭い商売をしている輩も

いるかもしれないが、

精神科を標榜するクリニックにいる

カウンセラーの中にそんなに

胡散臭い人間はいないと思う。

これは相性の問題もあるからな、

自分で相性が合うカウンセラーを探す必要が

あるな。

経験したことのない人にとっては

なかなかにハードルが高いことのように

聞こえるかもしれないけどな、

一度やってしまえば、たいしたことはない。

マダムは三浦春馬さんには、果たして

自分の気持ちを吐露するカウンセラーが

いたのだろうか、

忙しすぎて、心のケアまで手がまわらなかったのでは

ないだろうか、

と思うと、なんだか胸が苦しくなってしまったんだ。



まとまりのない文章になってしまったけどな、

なんか最近、気分的に落ち込むなぁ、

といったものでもなんでもいい、

なにか胸のつかえを感じたら

カウンセリングに行くことも

ぜひ、おすすめしたいんだ。

あんなに能力があった青年が

こんな形で亡くなることが

あってはならない。。。

マダム、暗い気持ちのままに

思うことをつらつらと

書かせていただきやした。

彼の魂が、安らかに眠ることを

心からお祈りする。

 

おしまい。

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