トイレはクローズなんだよなぁ。

ボンジュール。

マダムの家族全員おうち生活も69日目。

北ロンドンは本日も快晴なり。

今日はね、亡くなった母の誕生日なんだ。

5月8日が命日で、25日が誕生日なんだ。

15年前の5月8日に母は亡くなった。

マダムが大学に編入した年の5月だ。

夫とは4月に入学してから、

やや遠距離恋愛がはじまったわけだ。

マダムはおビンボーちゃんだったからな、

キャッピキャピのフレッシュな大学生に

混じって、寮生活をしてたんだ。

そうそう、マダムの寮生活歴も

なかなかに長いんだすよ(笑)

家出した伯母のもとから

看護学校に入学。

ここで看護学生寮に入った。

家出してたからな、

なかなかすんなり親元に戻って

学校に通うなんてことは

息苦しいぜ、考えられんってことで

寮に入る気満々で

寮のある学校しか受験しなかったんだ。

千葉のボロ家から近い

千葉の看護学校にも受かったけどな、

病院も寮も新しくてキレイな

西東京の看護学校に行ったんだ。

ここなら、実家からは通えないべ、

必然的に寮生活だ。

就職も神奈川にある国立病院だ。

これも寮生活。

目の前は海、後ろは山が広がる

自然に囲まれた精神病院。

どちらもホントに楽しかった。

その後は、受験のために少しだけ

出戻り。

っていっても、千葉のボロ家じゃなくて

兄が母のために借りてくれてた

東京のファミリー向けのマンションに

勝手に転がりこんで住ませてもらってたんだ。

で、編入した大学でも寮生活。

かれこれ8年以上、寮で生活をしたことになるな。

マダムは基本的に移民なんだ。

数年ごとにこうやって、

転居していくのが実は好き。

1つ所にいるとだな、

飽きちゃうんだわ。。。

引っ越し自体はめんどくさくて

大嫌いだけどな、

身内なり引っ越し業者に

迷惑かけまくって、

なんとか移民を続けてるんだ。

自分では、同じ所に暮らすのは

7年くらいが限界じゃないかな?

と今までの経験では思っとります。

こんなに飽きっぽい性格なのに、

夫とは何故か続いている不思議。

ひとえに、マダムの忍耐のおかげだな(笑)

 

 

そうそう、それで母の誕生日だった。

8日に亡くなって、25日が誕生日なんだ。

当時は、

かわいそうに、誕生日が迎えられなかったな。。。

と思ってはまた、ウルウルしてたんだ。

母が亡くなった年のこの頃は

まだ、マダムもじーちゃんもボロボロ。

千葉のボロ家のじーちゃんと

4月から大学で寮生活をはじめたマダムは

毎日のように連絡を取り合って

お互いに慰め合ってたんだ。

マダムは、当時のじーちゃんの

落ち込みようを見て、

ホントに今、マダムは寮生活なんかしてて

いいんだろうか?

と本気で悩んだこともあったくらい、

じーちゃんが心配だったんだ。

一生懸命、母の介護をしてくれてたからね、

母が亡くなって、全ての責任から解放されたら

じーちゃんは母の後を追って死んじゃうんじゃないかって

マダムは怖くて仕方なかった。

大学に入ったばっかりだったけど、

自分の勉強よりもじーちゃんの方が大事だと思って、

大学を辞めることも考えたんだ。

そしたらじーちゃん、

大学辞めて家に帰ってきたとこで

それがなんになる?

んなことしてもらわなくて結構、

お前は何があっても自分の役割を全うしろ、

いいか、例え俺が死んでも学校辞めるなんて

くだらねーこと、考えんなよ

って言ってきたんだ。

亡くなった母もおんなじことを

言ってたんだ。

ママが死んでも、学校だけは

絶対に卒業しなさい

って。

今なら、マダムが病気になっても

おんなじことを3匹に言うだろうな。

悲しいけど、学校を辞めたところで

死者は戻ってこない。

一時の悲しさや家族間の慰め合いだけで

感情的に進退を決めたら、

絶対に後悔するだろうよ。

とにかく、あの頃は

学校に通うのもしばらくは辛くて

何度も辞めようと思ったけどな、

両親が言ったように

とりあえず歯をくいしばって

卒業だけはして良かった。

あの時に辞めていたら

マダムは相も変わらず

自己肯定感が低いまま

恨みつらみを人に向けてる

人間になってたかもしれないと

思うんだ。

 

 

15年前の母の誕生日には

じーちゃんがマダムの大学の寮の前まで

迎えに来てくれて、一緒に近所の

ステーキ屋で2人で泣きながら

母の誕生祝いのつもりで

ステーキを食べたんだった。

一口食べては

おいしい、グスン、

母に食べさせてやりたかった、グスン

ってお互いにやりながら、

2人で鼻をすすりながら

ステーキ食べて、

お祝いのケーキ食べて、

寮まで送ってもらったんだった。

父とはその後もしょっちゅう

週末にデートして

夕飯をよく一緒に食べに行ったんだ。

あの頃はお互いに辛かったからね、

じーちゃんも千葉のボロ家から

はるばるマダムの大学の寮まで

車で迎えに来てくれたんだ。

大学周辺の飲食店で

2人で夕飯を食べたら、また、

寮に送り届けてもらう。

そんな生活を続けていたんだ。

じーちゃんも

帰りがけにはまた、どんよりして

はー、じゃ、また来週な、

来週を楽しみにまた、

無為な生活を続けるよ

なーんて言って車で帰ってくんだ。

ホントに来週まで無事でいてくれよ、

ってじーちゃんが乗った車を

見送りながら、思ってたんだ。

なんだかいろいろ思い出しちゃった。

あー、またあのコロナじーちゃんに

会いたくなったわい。

 

マダムが子供の頃は、

単身赴任がちのじーちゃんとは

ほとんど一緒に過ごしたことがなかったんだ。

たまに帰ってくるじーちゃんは

あんまり父親って感じがしなかったな。

とにかく、ほとんど一緒に過ごしてないから、

よく知らないおじさんなわけだ。

ホントに小さい時には

今度はいつ会えるの?

って聞いてたくらい、レアな存在だ。

そして、たまに怒らせようもんなら

おしっこちびっちゃうくらい、怖かった。

とにかく背も高いし、当時は恰幅も

良かったしな、血の気の多そうな

バリバリのサラリーマンだ。

声も低いし、

おい!!

ってドスの聞いた声で注意されるだけで、

怖くて泣いてたくらいだ。

そんなじーちゃんとは

成人して、母がガンになってから

まともに話すようになったんだ。

一番頻繁に連絡を

取り合っていたのは、

母が亡くなってからの

大学時代かな。

まずは死なれちゃ困る、

なんとかして元気づけなきゃって思いが

強かった。

そこからは

喧嘩もしょっちゅうあるけど、

まぁ、だいたいは仲良し。

マダムが大学卒業後は

結婚して都内に移ったから

じーちゃんとの距離も近くなった。

長女が生まれてからは

以前に書いた通り、

平日は泊まり込みで

飯炊きじーさんをしてもらってたからな、

マダムはホントに

じーちゃんに助けられたんだ。

亡くなった母を介して、

じーちゃんとはどんどん、

親しくなっていったな。

前はよく知らない超こわい

気まぐれとーちゃんだったのが、

今では、だいたいじーちゃんが言いそうなこと、

やりそうなことがわかるくらいに

なったからな、不思議なもんだ。

そんなことをつらつらと考えながら、

母の命日でお供えをあげて以降は

ほったらかしの薄情娘、

亡き母にすまんすまん言いながら

仏壇にお供え物をあげましたとさ。

 

今日のLineでじーちゃんが

母と過ごしていたダブルベッドの

スプリングが劣化して

起床時に腰痛が出てきたから

奮発してセミダブルのベッドと

マッㇳを買い替えたって

いってたな。

母の死後、15年だもんな。

もうあのベッドだって何十年も

働いてくれたから、代替わりなわけだ。

こうやって1つ1つ、亡き母が使っていたものが

この世の中から消えていくわけだ。

悲しいわけじゃないけど、

やっぱり時の流れを感じるな。。。

じーちゃんはお前は値段で判断するからって

わざわざ新調したベッドとマットレスの値段を

知らせてきて(笑)、そんなに長くは

使えないはずだから、お前にやる

って言ってたわ。

値段は確かに奮発だわい。

ボロ家のじーちゃんにしては大奮発。

マダムなんかは3匹に💰がかかってるからな、

絶対に買わない、買えない金額だ。

でも、んなもん要らんわい。

マダムになんか遺してくれなくていーから、

新しいベッドのマットがいかれるまで

長生きしてくんさいと

マダムも返したんだ。

じーちゃんとは母の死後は

ホントに手に手を取り合った

同士だからな(笑)

あと、マダムの1人しか残っていない親だ。

まだまだ、頑張って長生きしてくれよ。

 

おっといけない、母の誕生日で

つらつらと書いてたら長くなっちまった。

今日はね、きのうの外出について

ちょっと書いとくわ。

きのうは車で10分くらいの

森に行ってきたんだ。

マダムの家のすぐ近くの公園は

いまだにクローズしてるんだけど、

他の所は先日行った、緑道なんかも

かなりの人出なんだわ。マダムの感想を言わせてもらうと、

もう、ロックダウンはほとんど解除されてる感じだ(笑)

広場なんかはみーんなピクニックしてるしな、

マスクしてる人間なんて、いない。

マダムと夫くらいなんだわ。

家族間でのスポーツのみOK、

罰金の額を引き上げてこれを守れない人間を

取り締まる、なーんて言ってたけどな、

どーみても家族だけじゃないだろー!

っていうような大人数で

ピクニックをしてるグループがいたり、

長女とおんなじ年くらいの

3人組の女の子は、子供だけで森の中を

歩いてるしな、絶対に友達同士じゃんって感じで

みんな、超リラックスモードだったんだ。

こんなにみんながリラックスモードでいるんなら

トイレってどうなってるんかい?

と思って、見てみたけどな、

ドアに鍵がかかってて、使用できないように

なってるんだわ。

だから、みんなそんなに長居は

出来ないはずだ。

マダムからしたら

自分がトイレが近い方だし、

我が家は5人でぞろぞろ行動してるしな、

絶対に誰かしらが

トイレ行きたい。。。

ってなるはずだから、

トイレこそクローズにしないで

オープンしといてくだされ、なんだけどな。

ま、ピクニックなりするのは

許可されてるだけであって

別に推奨されてるわけじゃないもんな、

まだ公園側の方から率先しては

トイレもオープンしないわけだ。

それなら、森の中のカフェなんてやってるわけない

って思ってたら、テイクアウェイは

出来るもんだから、オープンしてるんだ。

チビがアイスを食べたがったし、

マダムなんかは、この環境下で

どうやってオープンしてるのか興味もある。

もちろん、アイスも食べたい、ってことで

買ってみたんだ。

こんな風にして、カフェで買い物する

人間意外は入れないようになってたんだ。

この先の道の通り抜けは買い物客以外、禁止。

マダム一行はこの中に入ってったんだ。

後ろ姿は似てるけど、マダムじゃないからな(笑)

地面のラインが見づらいと思って、

水色で上から引いたんだけど

やっぱりこんな感じで

並んで待つ位置が指示されてたんだ。ちょっと進んだ右側がもう、カフェスタンドになっていて

アイスやコーヒーが売っていたんだ。

店員さんは

手袋をはめてたけど、

マスクはしてなかったな。

アイスはシングルが1つ2.5ポンド。

2種類選べるダブルだと4ポンドって書いてあったな。

安くはないけど、公園の中のカフェは

だいたいこんな感じの値段が多いな。

マダムはジェラートで大好きな

ピスタチオにしてみたけど。。。

はっきり言っておいしくなかった。

これで2.5ポンドかよ?って

おいしくなかったから、

めちゃ高に思ったわい。

アイス食べて、ちょっと緑の中を

ブラブラ歩いて、

車に乗って帰りましたとさ。

 

おしまい。

↓良かったらポチっとしてやってくんさい♡マダムの励みになりまする。
ブログランキング・にほんブログ村へ